京焼・清水焼の歴史――奈良時代の伝承から晋六窯「ペリカン急須」の工夫まで

晋六窯の南蛮ペリカン急須

京都の窯元・晋六窯が手がける「ペリカン急須®」は、ペリカンのくちばしを思わせる大きな注ぎ口が特徴です。独特のかたちは見た目のためだけではありません。大きな茶葉を淹れる際の目詰まりを減らし、最後までお茶を注ぎやすくする工夫から生まれました。京焼・清水焼の歩みをたどりながら、晋六窯のものづくりと、ペリカン急須の機能を支える形について紹介します。

京焼・清水焼の歩み――京都に伝わるやきものの歴史

京都のやきものには、奈良時代に僧・行基が清閑寺付近に窯を築いたという由来が伝えられています。京都府の産地紹介でも取り上げられている歴史的な伝承ですが、現在の京焼・清水焼がその窯から途切れず続いてきたと断定できるものではありません。

京焼の表現が大きく発展したのは、江戸時代のことです。丹波出身の陶工・野々村仁清は、京都で茶器を手がけ、華やかな色絵陶器で知られるようになりました。仁清から手ほどきを受けた尾形乾山は、絵模様や造形に独自の意匠を加え、京焼の表現の幅を広げました。

さらに、奥田頴川による磁器の制作や、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全らの活動を通じて、京都の陶磁器は多様な作風を育んでいきます。京焼・清水焼は現在、経済産業大臣指定の伝統的工芸品として受け継がれています。

晋六窯――暮らしの中で使う器をつくる

晋六窯の志野無地ペリカン急須

晋六窯は、京都で三代にわたり器づくりを続ける窯元です。創業者の辻晋六は、釉薬が焼成によって変化する面白さに惹かれて陶芸の道へ進みました。河井寛次郎や濱田庄司らが活躍した民藝の時代に作陶を始め、京都の料亭向けの器から日々の食卓で使う器まで、幅広く制作してきました。

晋六窯が大切にするのは、器を飾るだけでなく、日常の中で使ってもらうこと。ペリカン急須も、使いやすさを求める試行錯誤から生まれ、半世紀以上にわたり作り続けられています。手作業による成形や釉薬の表情に加え、使う人の動作に目を向けた設計が特徴です。

ペリカン急須の大きな注ぎ口には理由がある

ペリカン急須の注ぎ口と茶こし穴の形状

ペリカン急須が考案されたきっかけは、焙じ番茶のような葉の大きいお茶を、目詰まりしにくく注ぎたいという要望でした。一般的な急須では、注ぎ口の内側に茶葉が張りつき、お茶の出が悪くなることがあります。

そこで辻晋六が考えたのが、注ぎ口を大きくし、お茶が通る穴を数多く設ける構造です。茶葉が一部の穴をふさいでも湯が通る経路を確保しやすくする工夫で、ペリカンのくちばしのような特徴的な形が生まれました。

この形は、工芸の技術が暮らしの中の使い勝手と結びついた一例です。陶器ならではの手仕事の風合いを楽しみながら、普段のお茶の時間に使うことを想定した道具として作り続けられています。

おわりに

色絵や磁器など多彩な表現を育んできた京焼・清水焼。その京都で器づくりを続ける晋六窯のペリカン急須は、「大きな茶葉でもお茶を注ぎやすくしたい」という実用上の課題から生まれました。大きな注ぎ口は、見た目の個性であると同時に、使うための工夫でもあります。作り手の発想を知ると、日々の一杯を淹れる時間にも、少し違った楽しみが生まれそうです。

ペリカン急須を見る
▶ 晋六窯 PELICAN TEA POT®︎
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参考:京都府「京焼・清水焼」/経済産業省「伝統的工芸品産業に関する支援計画の認定」(2025年1月16日)/晋六窯「晋六窯について」/晋六窯「晋六窯の器・ペリカン急須」(2026年10月31日確認)。

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